酉松会(ゆうしょうかい)とは、
一橋大学サッカー部の活動を支援するOBの団体で
OB・現役有志の寄稿による「酉松会新聞」の発行、
OB戦やフットサルの開催など様々な活動を行い、
当ウエブサイトで公開しています。

100年史④ 〜 小平G誕生と黄金時代

2020年2月17日  タグ: 沿革   コメントする

昭和5年(1930)
9月に 商大本科 は神田一ツ橋から 国立 へ移転した。
当時の写真が卒業アルバムに掲載されているので紹介しよう。


昭和8年(1933)
8月に 商大予科 が石神井から 小平 へ移転するが、グラウンドはまだ使えず
しばらくの間サッカー部は国立の陸上競技場を使用した。

昭和9年(1934)
春からサッカー部は、小平サッカー専用グラウンド で練習をスタートする。
これまで不便と悪条件の中で練習してきた部員は、夢かとばかりに
喜んだという。そしてこの年、東京カレッジリーグ1部 に昇格する。
86年になる小平グラウンドの歴史は、歓喜の中で始まったのだ。


また昭和9年にはサッカー部初の部誌『蹴球』 が創刊され、
昭和17年(1942)の第9号まで続いた。なお余談になるが、第9号は
原稿が集まっていたものの戦時中の混乱の中でで発行されなかった。
しかし、その原稿は0B有志の手で戦後も奇跡的に保管され、昭和57年
(1981)に発刊された。戦前・戦中の大先輩たちの熱い思いが詰まった
部誌『蹴球』の全9巻を当ウェブサイトの左サイドバーに掲載したので、
ぜひお読みただきたい。

昭和10年(1935)
大正13年(1924)より11シーズン続いた東京カレッジリーグが
大学と高等専門学校のリーグに分離し、
現在に続く 関東大学サッカーリーグ がスタートした。
この年、部員は30名を越す大所帯となり、部の運営・練習方法など
新たな工夫が必要となる一方、部員の自信が高まり、
部の伝統が芽生え始めたという。


昭和12年のリーグ戦では全敗し2部に降格するが、
昭和13年には2部で全勝優勝し、すぐさま1部に返り咲く。そして、
昭和15年(1940)、早稲田と同位ながら 関東リーグ1部 準優勝!
我がサッカー部史上最高位の記録で今も破られていない。
まさに黄金時代、輝ける年となった。


ここで触れておきたいことがある。
「酉松会」は、いつ、どういう経緯で発足したのか・・・
以下、『60年史』、『松本正雄先輩を偲ぶ』 を参考に記す。

昭和12年10月21日、チーム再建最大の功労者、長瀬東作が亡くなった。
病身でありながら生活の一切をサッカー部に捧げた彼の精神に感応し、
OBたちが後輩を支援する組織を作った。そしてサッカー部創設メンバーの
1人、川村 通が 「酉松会」 と命名したという。その名の由来については
川村先輩いわく・・

「酉松なんという熟語はもちろんない。つまり新発明だ。
一字ずつの意味ならば、 というのは成熟する、稔る、又は、老ゆ
ということで、それに方角を示す字としては、西という意味をもつ。
はいうまでもなく松の木のこと。そこで 酉松 と続けて、城西の国立
(宮城のほとんど真西にあたる)なる母学の庭の老松ということから
学窓を離れて世に出てもいつまでも変わらぬ同志の心にたとえてみた」

さらに明治天皇が詠んだ歌
「すみし世にかわらぬものは昔より老いたると見し松ばかりにて」 や
昔の「蹴鞠」は競技場の四隅に松の木を植えたことにも因んだという。

発足から82年・・・
「酉松会」に込めた大先輩の深い思いを、もう一度かみしめたい。

以下、次号。

酉松会新聞編集長 福本 浩(昭52卒)記

100年史③ 〜 東京カレッジリーグ始動

2020年2月16日  タグ: 沿革   コメントする

驚いたことに関東大震災の翌年、大正 13 年(1924)
ア式蹴球東京カレッジリーグ(関東大学リーグの前身)が始まる。
東京の大学と専門学校12校が、6チームずつ2部に別れて戦ったが、
何を基準に分けたかは不明。商大は2部で、1勝(vs東歯)4敗、5位に。

【1部】 早稲田・帝大・東高師・法政・慶応・農大
【2部】 一高・明治・外語・青学・商大・東歯(東京歯科医学専門学校)

その後カレッジリーグは、大正14年に3部制、昭和6年には5部制に拡大。
大学や専門学校にサッカー部が次第に増えていったことが伺える。

商大の戦績といえば、しばらくは2部で奮闘していたが、昭和5年に3部、
翌年には4部にまで降格してしまった。当時の大学は予科3年・本科3年で、
サッカー部の主力は予科が中心。本科の学生は指導役となっていた。
まだ同好会のような雰囲気で、練習も11名を欠くことが多く、練習なしで
試合に出場する選手もいたという。

しかし昭和7年から、まさにV字回復。快進撃が始まる。
猛練習に猛練習を積み重ね、3年連続でリーグ優勝を果たし、
昭和9年、どん底の4部から念願の 1部昇格 を成し遂げたのだ。



そのチーム再建の最大の功労者が、 長瀬 凱昭(東作)
肋膜炎を患いながらも医者と家族の反対を押し切って卒業まで練習や
試合に参加。優れた技術と卓越した統率力・ユーモアで部を牽引した。
後輩の鈴木 彰(昭13卒)は『60年史』に、こう記している。

“国立の本科から雨の日も風の日も休むことなく
石神井グラウンドに通って指導してくれた長瀬大先輩のことは、
決して忘れることのできぬ神にも近い尊い姿であった。”

・・注)神田一ツ橋にあった本科は、昭和5年に国立へ移転

長瀬は昭和9年に卒業し三菱鉱業に入社。しかし3年後に病が再発。
昭和12年10月21日、この世を去った。蹴球部時代に残した彼の言葉が、
後輩たちに語り継がれている。

“蹴球部員は皆ボールと恋愛せよ。熱愛せよ。
そして女性と恋を語るな……”

以下、次号に続く。

酉松会新聞編集長 福本 浩(昭52卒)記

100年史② 〜 震災を乗り越えて

2020年2月4日  タグ: 沿革   コメントする

大正9年(1920)、東京高等商業学校から大学に昇格し「東京商科大学」
称するようになった。同年には大学前の一ツ橋通り(現白山通り)に市電が
開通し、「一ツ橋 商科大学前」という停車場もできた。

*現千代田区一ツ橋2丁目*

大正10年(1921)に産声をあげた「商大蹴球團」は、翌 大正11年
日本最初のサッカーリーグである 専門学校蹴球リーグ戦 に参戦した。
商大・帝大(現東大)・早稲田・東京高等師範学校(現筑波大)の
4チームで試合を行ったが、戦績は不明。

ちなみに日本で最初にサッカーを体操の教材として取り入れたのは
筑波大で、明治19年(1886)のこと。まだラグビーと未分化の状態で
あったが、明治35年(1902)にア式蹴球部が創設され、イングランド人の
教員が赴任して指導した明治37年(1904)からサッカーが行われるように
なったと伝えられている。また「専門学校蹴球リーグ戦」に参戦した歴史を
持つ一橋大・東大・早大の3校は、今でも「ア式蹴球部」を名乗っている。

こうして100年の歴史の第1歩を踏み出したサッカー部だったが、
創部からわずか2年後、思いもよらぬ天災に襲われる。
大正12年(1923)9月1日、関東大震災・・・
校舎の大半を消失し、商大キャンパスは廃墟と化した。


大正13年(1924)4月から本科は神田の仮校舎で授業を開始。



予科は石神井に造られた仮校舎に移転し、劣悪なグラウンドで練習を
再開した。当時を知る二階堂謹二(昭10卒)は「60年史」に、
こう記している。

“(石神井予科の)グラウンドたるや、正に田んぼに類するものであり、
一度雨降るや全くの泥濘化し泥田で練習するかたちとなる。
また乾き切るや風に煽られモウモウの土煙を巻き起こし、砂漠と化す。
更にラグビー部と反面ずつの共用にて、当時ラグビーの方が威勢良きため、
ややもすれば押され気味にて、ランニングパスがよく我が陣に乱入する
機多く、練習をために乱さる。”


当時の商大予科校舎とグラウンドの跡地は、
現在、以下の地図のように都営アパートになっている。
なお黄色い境界線は筆者が推測したものであって、正確ではない。

以下、次号に続く。

酉松会新聞編集長 福本 浩(昭52卒)記

OBOG総会報告

2020年1月20日  タグ: トピックス   コメントする

令和2年 1月11日に開催されたOBOG総会の中で
100周年記念人工芝プロジェクトについて報告いたしました。
昨年の総会で決議して以来プロジェクトを推進してきましたが、
皆さんのご協力のおかげで、サッカー部担当分 7,500万円の
目標に対し 140名 の方から 5,523万円 が集まり、7合目まで
まいりました。

今後のスケジュールは、2020年9月までに目標額達成・発注、
2021年3月竣工・100周年記念行事と考えております。
学年ごとに寄付募集率に格差がありますので、横のつながりで
同期に声掛けいただくことで、裾野を広げていきたいと思います。
引き続き、ご協力賜れればと存じます。宜しくお願いいたします。

【小平グラウンドの現状】


【人工芝化の完成イメージ】

詳細については下記資料をクリックしてご覧ください。

2020総会資料
人工芝PJパンフレット

酉松会 人工芝担当幹事
神谷佳典(平成7年卒)記

寄付5000万円を突破!

2019年11月7日  タグ: トピックス   コメントする

小平グラウンド人工芝化プロジェクト、
「一橋レガシー」への寄付金に関する続報です。

10月末までに、128名 の方から、5,145万円 が寄せられました。
寄付してくださった酉松会会員や現役選手のご家族の皆様に
深く感謝いたします。

しかし、まだまだ道半ばです。
さらなる寄付の拡大に向け、幹事一同、努力を続けてまいります。
何卒ご協力のほどよろしくお願いいたします。