酉松会(ゆうしょうかい)とは、
一橋大学サッカー部の活動を支援するOBの団体で
OB・現役有志の寄稿による「酉松会新聞」の発行、
OB戦やフットサルの開催など様々な活動を行い、
当ウエブサイトで公開しています。

トピックス

活動停止処分からの再スタート2

2017年11月13日  トピックス   コメントを書く

11月12日(日)、東京トーナメントの2回戦が武蔵大学朝霞グラウンドで
行われた。相手は東京都4部の電気通信大だが、2部の東大をPK戦で破り、
勢いに乗っていて先制を許してしまう。しかし一橋は慌てることなく、
落ち着いた試合運びで徐々に自分たちのペースを掴み、前半の内に2得点
して逆転に成功。後半にも得点を重ね、4:1で見事に勝利した。外した
シュートも多かったが・・

 ★試合ハイライト動画
  https://youtu.be/dXd2kpV1vuA

3回戦は、2部の玉川大を2:0で破った、1部の武蔵大。
山梨学院大学和戸グラウンドで、13:30キックオフ。
一橋は春のリーグ戦で2:4と負けているだけに、リベンジしたい相手だ。
私は残念ながら仕事で行けないが、ぜひ多くのOBの方にグラウンドに来て
いただき、再スタートを切った現役の応援をよろしくお願いしたい。

酉松会新聞編集長 福本 浩(昭52卒)

DSC_0096DSC_0097DSC_0107
DSC_0112DSC_0111DSC_0110
DSC_0113DSC_0114DSC_0115
DSC_0120DSC_0125DSC_0126
DSC_0133DSC_0157DSC_0134
DSC_0156DSC_0158DSC_0167
DSC_0168DSC_0171DSC_0172

活動停止処分からの再スタート

2017年11月8日  トピックス   2件のコメント

11月5日(日)、一橋大学 vs 東京理科大学の試合が行われた。
来年の天皇杯に出場する東京代表決定戦を兼ねた、東京都トーナメントの
第1回戦。会場は府中市にある東京外国語大学のグラウンド。9月に活動
停止処分は解かれたものの秋のリーグ戦には出場できず、36年ぶりに昇格
を果たしたばかりの東京都1部から2部降格が決まった今期。例年なら
引退する4年生はチームに残り、この大会に向けて練習に励んできた。
4年間の活動の集大成を下級生たちに伝えるため最後の戦いに臨んだのだ。

DSC_0090DSC_0100DSC_0103
DSC_0107DSC_0113DSC_0115DSC_0122DSC_0123DSC_0129

前半は気合が入り過ぎたのか、縦へ縦へと攻め急ぐ場面が目立ち、
相手の早い寄せと体を張った守備に引っかかり、ゴールが奪えない。
試合勘も鈍っていたのだろう。ボール離れが遅く連携もイマイチだった。
しかし後半は随分改善され、ボールを左右に散らせるようになった。
サイドからのクロスやセットプレイで3点を奪い、見事な勝利。
ゴールのたびに試合に出ている選手も出ていない選手も全員で喜ぶ姿は、
見ていて幸せな気持ちになる。遠い記憶が蘇り、心も体も熱くなった。

 ★試合ハイライト動画
  https://www.youtube.com/watch?v=aQQt0K4hC3s

DSC_0142DSC_0143DSC_0145
DSC_0147DSC_0161DSC_0171
DSC_0173DSC_0174DSC_0176
DSC_0190DSC_0193DSC_0194

15時10分に始まった試合。終了が近づくにつれ陽がどんどん落ちていく。
照明設備もない。私の現役時代、こんな暗い中で試合をしたことがない。
それでも最後の最後まで気迫のこもったプレイを見せてくれた選手たちに
感謝! 次戦は12日(日)、東大にPK戦で勝利した電気通信大。戦いは続く。

DSC_0138DSC_0188DSC_0189
DSC_0201DSC_0197DSC_0196
DSC_0202DSC_0205DSC_0209

それにしても、一橋サッカー部の長い歴史の中でも前例がない
「活動停止処分」という事態が、なぜ起こったのか・・・
小平通信で伝えられてはいるが、酉松会メンバーへの周知が十分では
ないと思うので、この機会に事の経緯を、もう少し詳しく記しておく。

【問題の発生経緯】
2016年5月 2013年度卒の0Bに、日本サッカー協会・前技術委員長の
S氏から、彼が運営するサッカークラブの中学生チームが、グラウンドを
確保できずに困っているため小平グラウンドを貸借したいとの依頼がある。
S氏は2013年に一橋サッカー部の技術指導をしていた。その縁もあって、
OBはS氏の要求に応えるべく現役GMに連絡を入れた。

GMは一部の部員と話し合い、グラウンドの転貸が大学の規則に反すると
認識しながらも、日本サッカー協会の関係者、そして自分たちと関わりの
深いOBからの依頼であり、かつ小平グラウンドの実質的な管理は、長年
サッカー部が行っていることもあって、利用者に使用方法と規則を十分に
説明すれば大丈夫だろうと判断。中学生チーム(以下、チームA)への
貸し出しを決定した。

2016年 6月 チームA 1回
2016年 8月 チームA 1回
2016年 9月 チームA 1回
2016年10月 チームA 1回・・計4回

甘いと言われても仕方がない判断だが、もし自分が当事者だったら
同じ判断をしたかも知れないと思う。しかし問題は、この後だ。

2016年11月 チームAへのグラウンド転貸を知った、地元の
少年サッカークラブが(以下、チームB)貸し出しを依頼してくる。
これを断りきれず、チームBにも貸し出しを始める。
金銭のやり取りは一切なかったが、両チームのグラウンド使用時間に、
サッカー部員が誰も立ち会わなかったことが、後に問題を大きくした。

2016年12月 チームA 1回 / チームB 3回
2017年 1月 チームA 1回 / チームB 1回
2017年 2月 チームA 1回 / チームB 1回
2017年 3月 チームA 1回 / チームB 3回・・計12回

この3月にチームBが、他チームと計6チームで対外試合を開催。
ある父兄が駐車場の場所を大学に直接問い合わせたことから転貸行為が
発覚した。学生支援課より指導を受けたサッカー部は直ちに転貸を中止。
以降の公式戦での小平グラウンド使用も自粛したが・・

2017年7月 無断転貸が長期にわたっていたことを重くみた大学側は
無期限の活動停止処分を通告した。学生支援課の指導を受けた3月から
7月の処分決定までに何かできなかったのかという意見もあるだろう。
しかし、この件に関して前年度の責任者から適切な引き継ぎがなされて
いなかったため、大半の現役部員が状況を把握していなかったという。
仮に把握していたとしても、まさか大学側がこんな厳しい処置を取ると
は誰も思わなかっただろう。結果論で誰かを責めるより、今後に向けて
の貴重な教訓とするべきだ。

★国立キャンパスに張り出された告示
 大学の告示

【処分決定後の活動】
活動停止処分の通告を受け、現役部員は大学側と数度話し合いをし、
反省文や再発防止文書を複数回提出。酉松会の幹事会も協働して
嘆願書を提出した。さらに現役たちは反省を行動で表すため、学内の
清掃活動や地域の高齢者や障害者を支援する活動、日本語を母国語と
しない中高生の学習指導など、様々なボランティア活動を行った。
こうした彼らの真摯で粘り強い努力と一部OBの献身的な支援によって
大学側も歩み寄り、処分変更に必要なプロセスが大学として踏めない
夏休み期間であったにも関わらず、処分期間が2ヶ月に短縮されたのだ。

★現役の社会貢献活動内容
 反省行動

東京都大学サッカー連盟HPのNEWSコーナーにある10月24日付の記事
【特集:1部後期リーグ総括】の中で「無念の一橋、今思うこと」と
題された文章が掲載され、現役たちの社会貢献活動などが写真と共に
紹介されている。下記のアドレスをクリックして、ぜひご覧頂きたい。
http://www.f-togakuren.com/topics/detail/id=652

活動停止期間中、現役部員たちはサッカー面のコンディション維持も
怠らなかった。それぞれが個人練習に努め、出身高校の部活動に参加
する者も多かったという。また東京工業大学、上智大学、東京大学の
サッカー部が自分たちの練習に一橋の部員を、それぞれ数名ずつ参加
させてくれたそうだ。彼らのご厚意にも感謝したい。

しかし、秋期リーグ戦の参加は叶わなかった。
その経緯も記しておく。

8月27日開幕の前、8月中旬に監督会議が開かれ、一橋の活動停止処分
の取り扱いが議論された。その時点では3ヶ月(10月初)で処分解除
の見込みであったことから、最終2戦への参戦を要請したが、不戦勝
チームと最終2戦で対戦する大学間で不公平が生じるとの意見が強く、
1部リーグ参加校全校による持ち帰りでの投票で確定することになり、
その投票の結果、一橋の9試合全戦の不戦敗が確定したのだ。

本当に残念なのは、処分解除が現役に通知されたのが9月1日だった
ことだ。つまり9月3日の2試合目から参戦できる資格はあったのだ。
言っても仕方のないことだが、もう少し何とかならなかったかなあと
いう思いがある。

とにもかくにも今回の件で、現役はもちろん我々OBも、大学サッカー
部の活動というものは、それを取り巻く社会を抜きにしては存在でき
ないということを思い知らされた。そして現役諸君とりわけ4年生は
OBの誰もが経験したことのない苦痛を味わった。でも、これまで誰も
目を向けてこなかった地域社会との交流という得難い経験をしたのも
事実である。ぜひ、この体験を糧にして、力強く次のステップへと
向かっていって欲しい。

【未来に向けて】
最後にサッカー部のこれからについて、私なりに考えたことを記したい。
そのヒントとなったのが、如水会報2017年10月号に掲載された、
陸上部OBの後藤哲也氏(昭44卒)の記事である。

★如水会報の記事
 如水会報1 如水会報2 如水会報3

後藤氏はサッカー部の無期限活動停止処分について触れながら、
「学外者に利用させること自体がおかしいと判断されるのであれば、
 それは大きな間違いである。一橋大学が所有する運動施設が、
 もっと社会的に有効活用されてもいいのではないか。大学側と
 運動部側がもっと真剣に考えて、よりよい方向性を見出すことは
 できないのだろうか」と記している。

平成8年(1996)に小平分校(教養課程)が廃止されて、もう20年
以上になる。人工芝ではない小平グラウンドで練習や試合が行われる
機会も減った。かつては多くの部員が小平周辺に住んでいたが、今は
違う。学園西町の商店街もあまり活気はない。これらの事も、今回の
問題の遠因になっているような気がする。もう一度小平に多くの人が
集まるようにできないものか・・小平グラウンドを社会的に有効活用
することが、その一助になるのではないか。

地元の少年サッカークラブに小平グラウンドを使ってもらうことは、
決して悪いことではない。もちろん大学の許可を得ること、現役部員
が立ち会うことは必須であるが、むしろ部員やOBが、積極的に少年
少女たちのサッカー指導に参加してもいいと思う。

さらに小平キャンパスには、たくさんの外国籍の学生が住んでいる。
彼らと協力して、世界各国の物産や料理を売るバザールを開いては
どうか。学園西町の商店街にも参加してもらう。地元の人たちや
OBも加わって国際交流ミニサッカー大会を開催するのも面白い。

小平に衆目が集まるようになることは、小平グラウンドの人工芝化
を推進することの一助にもなるはずだ。地域社会の人も利用できる
グラウンドとなれば広く寄付を募ることもできるし、小平市や大学、
ひいては日本サッカー協会の協力を仰ぐこともできるのではないか
と夢想する。

以上、「活動停止処分」となった今期を振り返り、私個人の思いや
考え方を書いてきました。この機会に、OBの方々や現役諸君には、
ぜひ率直な思いやご意見を寄せていただきたいと思います。
私に直接メールしてくだされば、記事に反映していきます。
また、来年3月に発行する「酉松会新聞」への寄稿という形でも
構いません。どうぞよろしくお願いいたします。

酉松会新聞編集長 福本 浩(昭52卒)
fukug1954@db4.so-net.ne.jp

山形遠征2017

2017年6月6日  トピックス   コメントを書く

6月3日(土)山形市球技場にて山形大OB、早慶大OB、地元の女子クラブ
「べにばな」の3チームと、我々一橋大OBとの交流試合が行われました。
状態のいい人工芝、暑くもなく寒くもない絶好の天気、そして、初めての
若い女子チームとの試合ということで、おじさん、おじいさんたちは
終始ニコニコ。しかし甘かった。一番強かった。0:1で負けました。
vs山形大は1:1、vs早慶大とは0:0で仲良く痛み分け。
楽しく気持ちのいい試合でした。

DSC_0234DSC_0251DSC_0270
DSC_0243DSC_0240DSC_0237
DSC_0256DSC_0264DSC_0279
DSC_0281DSC_0291DSC_0299
DSC_0310DSC_0316DSC_0317
DSC_0318DSC_0327DSC_0331

試合後は蔵王温泉で疲れを癒しました。夜の宴には今回の幹事役・
橋詰さん(昭56卒)の長年の友人である地元の名士・長瀬洋男さんが、
美味しい地酒をふるまってくれて大いに盛り上がりました。
翌日は御釜や山寺を観光。気温9度という寒さに震えましたが、
長く記憶に残る2日間でした。
今回の参加者は15名。現役時代に女子マネを務めてくれた高橋真理子
さん(通称マリンコ)と橋詰夫人も応援に駆けつけてくれました。
来年は、ぜひ皆さんもご参加下さい。

宿泊先:堺屋森のホテルヴァルトベルク
http://www.waldberg-zao.com/

DSC_0333DSC_0334DSC_0335
DSC_0336DSC_0337DSC_0338
DSC_0339P10108222P10108412-1

続・砂漠化する小平グラウンド

2017年3月3日  トピックス   コメントを書く

酉松会新聞に同期の山根さんが「砂漠化する小平グラウンド」を寄稿して
いますが、現役諸君が置かれている現状を多くの方に理解してもらうため、
2月初めに撮影した彼らの練習風景の写真を下記に掲載します。
小平グラウンドの人工芝化を真剣に考えて頂く一助になればと願っています。
(写真をクリックすると大きくなります。
 見た後は、写真右下の✖️をクリックすれば元に戻ります)

DSC_0075DSC_0032DSC_0052
DSC_0086DSC_0058DSC_0084

年々砂漠化、荒廃化する小平グラウンド。防砂・防塵対策にゴザとビニール
袋が必須。リーグ戦の試合はすべて他校の人工芝グラウンドで行われるため、
練習も小平グラウンドを使うのは週に1回程度。ほとんどの練習は府中市に
ある人工芝のグラウンドを借りて行われます。2時間で3,200円。
現在の部員は約60名ですが、ボールが慢性的に足りず、小平での練習は、
2部制です。4月に新入生が入ってくれば、さらに大変になります。

DSC_0088DSC_0090DSC_0107
DSC_0038 (1)DSC_0042 (1)DSC_0036

部室は相変わらず狭く、汚い。2階には女子マネたちの部屋もありました。
自分たちの手で床をリフォームしたそうです。女子マネは現在8名で、
全員が一橋大学生。これも我々の時代とは隔世の感があります。

DSC_0101DSC_0094DSC_0096
DSC_0099DSC_0109DSC_0110
DSC_0111DSC_0113DSC_0115
DSC_0105DSC_0106DSC_0103

府中市にある人工芝の「郷土の森グラウンド」を借りて練習。
アクセスは国立から自転車で30分ほど。最寄り駅の府中本町から徒歩15分。
小平グラウンドより、はるかに気持ち良さそうにプレイしていました。

DSC_0222DSC_0011 (1)DSC_0007
DSC_0035DSC_0030DSC_0043
DSC_0096DSC_0074DSC_0184

問題は、ボール・やかん・マーカーなどの備品を毎回、小平の部室か部員たち
の自宅へ持ち帰らなければならないこと。ホームでの試合はおろか、練習さえ
も満足にできない「ジプシーチーム」の悲哀です。

DSC_0226DSC_0225DSC_0230
DSC_0232DSC_0234DSC_0236
DSC_0238DSC_0258DSC_0251

福本 浩(昭52卒)編集長 記

酉松会新聞・第10号 発刊!

2017年3月2日  トピックス   コメントを書く

酉松会新聞・第10号が完成しました。
今年の投稿者は次の方々です。ご協力ありがとうございました。

巻頭挨拶
 緒方 徹 (昭49卒 会長):「懈怠比丘不期明日」

小平G人工芝化への期待
 山根 言一 (昭52卒):砂漠化する小平グラウンド
 大口 柾文 (4年GM):学生側からの想い

リーグ戦を観戦して
 志摩 憲一(昭31卒):1部昇格と新たな挑戦

戦いを終えて
 中野 圭祐 (4年 主将):存在意義を考え続けて
 大口 柾文 (4年 GM):自分を知ること
 甘利 知己 (4年 メンタル):目標の、その先
 池田 修 (4年 会計):ア式と過ごした4年間
 梶谷 卓矢 (4年 広報):振り返って
 栗木 春綱 (4年 広報):長いとも短いとも言える、4年間でした
 近藤 直輝 (4年 OB):引退して
 手島 拳之介(4年 イベント):ライフスキル〈楽しむ〉と〈考える〉
 野際 大樹 (4年 用具施設):戦いを終えて今思うこと 
 普勝 悠暉 (4年 イベント):人生の転機 
 松井 基宏 (4年 新歓):ア式のありがたさ
 森本 志朗 (4年 メンタル):自分と向き合った4年間
 寺田 香穂 (4年 MG):感謝
 山崎 光 (4年 MG):集大成

平成 29 年度シーズンに向けて
 赤星 真一 (平4卒 監督):関東リーグへの挑戦 〜本編 第1章
 吉田 圭吾 (3年 新GM):今シーズンの抱負

海外便り
 角井 朋之 (平11卒):平穏・快適なクアラルンプール生活
 諸石 央 (平12卒):シンガポールのTeam OB
            
私の学生LIFE・今昔
 神代 祥夫 (昭29卒):思い出あれこれ
 橋本 昭一 (昭31卒):小平の想い出
 山田 充夫 (昭40卒):私のサッカー部生活
 小林 治 (昭53卒):学生時代の思い出
 田中 耕太郎 (昭53卒):公務員さんは呼べんじゃろう
 五味 正秀 (昭55卒):1978年の夏の日、小平グラウンドで
 大口 柾文 (4年 GM):飲み会2016 
 普勝 悠暉 (4年 イベント):私が選ぶア式グルメBEST5
 松井 基宏 (4年 新歓):甘利燃ゆ 
 寺田 香穂 (3年 MG):三商戦の思い出

追悼 外岡先輩に捧ぐ
 山崎 彰人 (昭49卒): “外岡先生” の胴上げに涙
 木村 武志 (昭52卒):夫婦を繋いだ “仲人さま” 
 五味 正秀 (昭55卒):粋な “親戚のおじさん” へ
 佐藤 博子 (昭54卒):外岡さんとの出会いが人生の起点

編集後記
 福本 浩 (昭52卒 編集長):10年目を迎えて