酉松会(ゆうしょうかい)とは、
一橋大学サッカー部の活動を支援するOBの団体で
OB・現役有志の寄稿による「酉松会新聞」の発行、
OB戦やフットサルの開催など様々な活動を行い、
当ウエブサイトで公開しています。

沿革

シリーズ100年史 ① 〜草創期〜

2019年1月11日  タグ: 沿革   コメントする

2年後、わが一橋大学ア式蹴球部は創立100周年を迎える。
国立の一橋大学付属図書館に、創立当時のエピソードを伝える
貴重な資料が残されていることをご存知だろうか。
昭和9年(1934)に創刊され第7号まで作られたという
我が部初めての部誌「蹴球」である。
創刊号の一部を下に掲載するので、この機会にぜひ読んでいただきたい。

★「蹴球」創刊号
(クリックすればPDFファイルをダウンロードできます)

創刊号に寄稿された創立メンバー6名の1人、川村 通氏によれば
「蹴球団」の結成は、大正10年(1921)の春。当時、一橋大学は
予科3年・本科3年の東京商科大学と呼ばれていた時代だ。
そして6月、東京高等師範学校(後の教育大、現在の筑波大)の
グラウンドで早稲田高等学院(早大の予科)を相手に初試合を行った。
結果はスコアレスドロー。両校ともサッカーが日本人よりうまかった
中国人留学生をFWに起用。同じような戦法だったから引き分けたと
川村氏は記している。ともあれ、この初試合が行われた大正10年6月、
一橋大学ア式蹴球部は、正式に産声をあげたのである。

もう1点、おそらくサッカー部に初めて寄付をしてくださった大先輩、
田中虎之輔氏について記しておこう。彼の先祖は幕末から明治にかけ
横浜で生糸・茶の輸出や両替商を営み、財を築いた田中平八。
単に利益を追求するだけでなく水道やガス灯の敷設など私財を投じて
公益にも寄与し、「天下の糸平」として世に知られた人物である。
その血を継ぐ虎之輔氏も「桁外れに年長のえらい実業家」だったようだ。

ちなみに「蹴っとばし団員」が彼から頂戴した「大枚50円」は、
大正10年当時、大卒銀行員の初任給と同じ額だったという。
現在の貨幣価値に換算すると、およそ20万円くらいか。
ヨチヨチ歩きを始めたサッカー部にとっては、本当にありがたい
寄付だったに違いない。以下、次回に続く。

酉松会新聞編集長 福本 浩(昭52卒)記