秘話!PASSKEL・泥蹴会・ダックス定期戦
福本 浩(昭52卒 酉松会新聞編集長)記
毎年11月23日に千葉市の東大検見川グラウンドで開催される
PASSKEL(一橋OB)・泥蹴会(東大OB)・ダックス(東大職員)のリーグ戦。
優勝杯を賭けて戦うこの定期戦は、一体いつから始まったのか?
以前から試合後の懇親会で何度か話題になるが、誰も覚えていない。
30年前くらいじゃない?という漠然とした記憶でお茶を濁していた。
そこで今回、泥蹴会が50周年を迎えるにあたり、初期の歴史を
辿ってみることにした。
【検証①:謎の試合写真】・・福本所蔵
最初に気になったのが、私の手元に残る紙焼きの古い写真。
撮影場所も年月日も不明。泥蹴会チームの面々(京大OBの永井さん、
東大OBの植村さんと宮武さん)の若き姿もある。もしかしたら、
これが始まりかと思ったのだが、泥蹴会の池森さんが発掘してくれた
試合の案内状で詳細が判明した。試合日は1996年11月23日(土)、
3チームによるリーグ戦ではあるがダックスではなく興銀OB、
試合会場も検見川ではなく興銀の浜田山グラウンドだった。
一橋OBが着ている白いユニホームは、同期の山根くんが勤務していた
東京ガスのユニホームを借用したもので、チームの正式なユニホームは
まだ作られていなかった。ただ、この試合が泥蹴会との記念すべき
初試合だったことは池森さんとも確認できている。
【検証②:ユニホーム代金請求書】・・山根所蔵
正式なチームユニホームを発注したのは、平成10年(1998)2月23日。
注文したのは昭51卒〜54卒のOB 21名。PASSKEL(パス蹴る)という
チーム名は私が 1〜2年次に書かされていた部誌のタイトルに由来する。
それはさておき、この正ユニを着て表題の定期戦に初めて参加したのは
1998年以降で間違いない。歴代の写真を見ると2012年までは多くの
OBが着ていたが、現在では私だけになり、背中に縫い付けられた
白地の名前と背番号7は、すっかりはげ落ちてしまった。
27年という長い年月を感じさせる貴重な遺品(笑)ではある。
【検証③:古い5年日記帳】・・(福本所蔵)
71歳の私が40代後半に仕事で使っていた2冊の5年日記帳がある。
縦軸が同じ月日になっていて5年分のスケジュールが書き込めるものだが、
驚くような事実が記載されていた。1999年の11月23日に泥蹴会と
ダックスとの3チームリーグ戦の記載があり、試合会場は検見川ではなく
興銀の浜田山グラウンドだったのだ。大発見である。
★1999年11月23日(火)くもり
12時より浜田山にて東大OBと一橋OBの定期戦、といっても
13時近くから合流したが、思ったよりボールは蹴れたし、走れた
東大職員との3チームでのリーグ戦の結果、最下位
これが現在に続く定期戦の始まりである可能性は高いが、証拠となる
写真はないし書いた本人の記憶もない。優勝杯があったかどうかも不明。
どなたか証言できる方がいれば嬉しいが・・今はまだ見つからない。
また、1999年以外(1998、2000〜2002)の11月23日は仕事が忙しく、
OB戦の記載はない。ただ一橋OBの同期、古荘くんは1998年の11月23日に
東大の御殿下グラウンドで東大OBと試合をした覚えがあるらしい。
残念ながら東大職員も一緒だったかどうかは記憶にないそうだ。
でも次の5年日記帳(2003〜2007年)には、さらに大きな発見があった。
東大検見川グラウンドでの定期戦の最も古い記録である。試合形式も今と
変わらない!優勝杯もあった朧げな記憶がある。始まりは 2003年か?
★2003年11月23日(日)くもり 肌寒い
12時に新検見川に集合 東大OB、一橋OB、東大職員チームで
試合(20分×6)テレコムからも5人参加 グランドが悪くて
ボールが足につかない 疲れる
注)テレコムとは私がフリーになる前に勤めていたTV番組制作会社
テレコムスタッフのこと。この会社の若者5名を助っ人に呼んだ。
おかげで優勝したが、後で東大OBたちから苦情が出た記憶がある。
★2004年11月23日(火)
東大検見川Gで恒例のOB戦 今年は参加人数が少なめで疲れる
東大優勝、一橋は2位、東大職員チームは3位
この日記の記載を補足証明してくれる資料がある。
池森さんが提供してくれた「東大サッカー部史(50年度版)」だ。
これは東大ア式蹴球部の創部90周年記念『闘魂90年の軌跡(2008)』を
発刊する際に集められた「昭和50年度卒業者関連の投稿」で、
特にダックスの鵜沢聖治さんの寄稿「泥蹴会と東大ダックス」が興味深い。
記述内容前半の When/Where が、はっきりしないのが残念だが・・
“泥蹴会の方々が卒業して何年かして、池森さんから「11月23日に
泥蹴会メンバーが集まるので親善試合をやりませんか」と声をかけて
いただいたのが、泥蹴会と東大ダックスの定期戦の始まりでした。
途中から一橋OBも加わり三つ巴で定期戦をやることになりました。
ダックスは万年最下位に甘んじていたのですが、2006年に待望の
優勝杯を手にすることができました。そのときのダックスの仲間の
喜びようは大変なものでした。しかし翌年には、再び泥蹴会に
優勝杯を持っていかれてしまいました”
やはり優勝杯はあった! もうひとつの証拠資料は、
毎年の優勝チーム名を記してカップに結ばれたリボンである。
ダックスの小出さんがチェックし、リストを作ってくれた。
抜けた年が多少あるものの、私の記憶と日記帳の記載通り、
2003年はPASSKEL、2004年と2005年は泥蹴会が連覇、そして翌年
ダックスが待望の初優勝を果たすも、2007年は再び泥蹴会が優勝・・
この流れは “再び泥蹴会に優勝杯を持っていかれてしまった” という
鵜沢さんの記述にピッタリ符号する。
では、この定期戦の始まりはいつなのか?
上記のリストの中で一番古いのは 2002年の優勝リボンである。
ということは、2002年(平成14)11月23日が始まりなのか?
【検証④:酉松会新聞創刊号】
最後に決定的な証拠資料を紹介しよう。
酉松会新聞の創刊号(2008)に掲載された山根くんの寄稿である。
私が編集長をやるようになったのは Web新聞になった2014年からで
紙で配られていた時代の新聞だから、彼も私もすっかり忘れていた。
読み直してみると、以下のような重要なことが書かれていたのだ。
“東大の76年(昭和51年)卒業メンバーは毎年全国から集まってきて、
東大職員と定期戦をやっていた。東大の幹事役池森さんから声がかかり、
3チーム対応戦を始めたのが96年。7年前からは「FC東京杯」を争う
カップ戦に発展。最初の3年間は一橋が圧勝していたが、ここ数年は
東大と東大職員に競り負けて2年連続最下位”
96年の「3チーム対応戦」はダックスではなく興銀OBだったが、
大事なのは、その次の文章である。「7年前からカップ戦に発展」と
「最初の3年間は一橋が圧勝」という部分だ。先述のリストによれば
東大の優勝は2004年で、その前に一橋は「3年間圧勝」しているから、
「カップ戦」の始まりは 2001年(平成13)になる。確かな事実と
認定できる写真や証言もないが、これをもって本稿の結論としたい。
まだまだ 1997-98年、2000年のOB戦など不明な点は多い。
2001年「カップ戦」の試合会場が検見川グラウンドだったかどうかも
定かではない。来年の11月23日、泥蹴会・ダックスの皆さんと共に
しばしのタイムトラベルを楽しめればいいなと思っている。
蛇足になってしまうが、下の東大検見川グラウンドの MAPを見ると
初期の定期戦の試合会場は、現在恒例となっている「第1サッカー場」
ではなくセミナーハウスの奥にあった「第3サッカー場」だったような
気がする。これも検証したい事案ではある。
























































































