酉松会(ゆうしょうかい)とは、
一橋大学サッカー部の活動を支援するOBの団体で
OB・現役有志の寄稿による「酉松会新聞」の発行、
OB戦やフットサルの開催など様々な活動を行い、
当ウエブサイトで公開しています。

3回目を迎えた如水会館での総会

2026年1月16日  タグ: トピックス   コメントする

令和8年1月10日(土)14時半、
小平グラウンドが人工芝の張り替え工事中で午前中のOB戦が中止となり、
如水会館にて総会のみの開催となった。通常の議事進行に加え、今年は
一橋サッカー部のコーチを2年間務めてくださった元サッカー日本代表・
戸田和幸氏の特別講演もあり、例年以上に多くのOB(特に平成一桁卒と
戸田氏の教え子だった令4-5卒)やご父兄が集まり大いに盛り上がった。


令和7年度の活動・決算報告、令和8年度の活動方針・予算案の
発表・承認の後、下記に示した今年度の役員体制も承認された。

✳︎会長:緒方 徹(昭49卒)
✳︎副会長:橋詰邦弘(昭56卒)日置慶太(昭56卒)樋口哲司(昭59卒)
✳︎代表幹事:重満紀章(平7卒)
✳︎副代表幹事:松井伸太郎(平7卒)神谷佳典(平7卒)鈴木仁也(平9卒)
✳︎幹事(卒年順)
:赤星真一(平4卒)潮見健介(平10卒)角井朋之(平11卒)
:山盛貴史(平18卒)帰山圭祐(平19卒)堀池良佑(平23卒)
:平林幸治(平25卒)大倉佑介(平26卒)根木俊輔(平31卒)
:長島直紀(令6卒)

続いて今年の卒業生22名が一人ひとり挨拶し、卒業後の進路を発表。
近年は銀行や証券会社など金融関係、コンサルティング・IT企業に
就職する者が大半を占めていたが、今年は三菱商事、住商、伊藤忠、東レ、
味の素など昭和世代の0Bにも馴染み深い会社に就職する者が数多くいた。
これも時代の流れなのだろうか。変わり種としては警察庁に勤務する
(多分サッカー部史上初)者もいて「オー」という声が上がった。


3年前から総会に部員たちの父兄も参加するようになり、
何人かが愉快なスピーチを披露。総会はおろかリーグ戦を父兄や家族が
観にくることなど皆無だった我々からすれば隔世の感がある。ただ、
一橋ア式蹴球部を支える新しいパワーであることは間違いない。

この総会で奇遇というべき出会いがあった。
スピーチをした八木信彦さん(今年卒業する八木琳太郎くんの父)は、
酉松会副代表幹事の松井伸太郎さん(平7卒 岡山在住)と、丸紅の
同期入社だった!2人は今日久しぶりに出会い、互いの「奇なる縁」を
初めて知ったのである。会場が一番盛り上がった瞬間だった。

2部に降格して臨んだ昨期のリーグ戦は、18戦7勝4分7敗で6位。
残念な結果に終わったが今期こそ昇格して来年の総会は祝勝会にしよう!
そんな願いを込めたエールを送り、総会は一本締めで閉幕した。

秘話!PASSKEL・泥蹴会・ダックス定期戦

2025年12月29日  タグ: 沿革   コメントする

福本 浩(昭52卒 酉松会新聞編集長)記

毎年11月23日に千葉市の東大検見川グラウンドで開催される
PASSKEL(一橋OB)・泥蹴会(東大OB)・ダックス(東大職員)のリーグ戦。
優勝杯を賭けて戦うこの定期戦は、一体いつから始まったのか?
以前から試合後の懇親会で何度か話題になるが、誰も覚えていない。
30年前くらいじゃない?という漠然とした記憶でお茶を濁していた。
そこで今回、泥蹴会が50周年を迎えるにあたり、初期の歴史を
辿ってみることにした。

【検証①:謎の試合写真】・・福本所蔵
最初に気になったのが、私の手元に残る紙焼きの古い写真。
撮影場所も年月日も不明。泥蹴会チームの面々(京大OBの永井さん、
東大OBの植村さんと宮武さん)の若き姿もある。もしかしたら、
これが始まりかと思ったのだが、泥蹴会の池森さんが発掘してくれた
試合の案内状で詳細が判明した。試合日は1996年11月23日(土)、
3チームによるリーグ戦ではあるがダックスではなく興銀OB、
試合会場も検見川ではなく興銀の浜田山グラウンドだった。


一橋OBが着ている白いユニホームは、同期の山根くんが勤務していた
東京ガスのユニホームを借用したもので、チームの正式なユニホームは
まだ作られていなかった。ただ、この試合が泥蹴会との記念すべき
初試合だったことは池森さんとも確認できている。

【検証②:ユニホーム代金請求書】・・山根所蔵
正式なチームユニホームを発注したのは、平成10年(1998)2月23日。
注文したのは昭51卒〜54卒のOB 21名。PASSKEL(パス蹴る)という
チーム名は私が 1〜2年次に書かされていた部誌のタイトルに由来する。
それはさておき、この正ユニを着て表題の定期戦に初めて参加したのは
1998年以降で間違いない。歴代の写真を見ると2012年までは多くの
OBが着ていたが、現在では私だけになり、背中に縫い付けられた
白地の名前と背番号7は、すっかりはげ落ちてしまった。
27年という長い年月を感じさせる貴重な遺品(笑)ではある。


【検証③:古い5年日記帳】・・(福本所蔵)
71歳の私が40代後半に仕事で使っていた2冊の5年日記帳がある。
縦軸が同じ月日になっていて5年分のスケジュールが書き込めるものだが、
驚くような事実が記載されていた。1999年の11月23日に泥蹴会と
ダックスとの3チームリーグ戦の記載があり、試合会場は検見川ではなく
興銀の浜田山グラウンドだったのだ。大発見である。

★1999年11月23日(火)くもり
12時より浜田山にて東大OBと一橋OBの定期戦、といっても
13時近くから合流したが、思ったよりボールは蹴れたし、走れた
東大職員との3チームでのリーグ戦の結果、最下位

これが現在に続く定期戦の始まりである可能性は高いが、証拠となる
写真はないし書いた本人の記憶もない。優勝杯があったかどうかも不明。
どなたか証言できる方がいれば嬉しいが・・今はまだ見つからない。

また、1999年以外(1998、2000〜2002)の11月23日は仕事が忙しく、
OB戦の記載はない。ただ一橋OBの同期、古荘くんは1998年の11月23日に
東大の御殿下グラウンドで東大OBと試合をした覚えがあるらしい。
残念ながら東大職員も一緒だったかどうかは記憶にないそうだ。

でも次の5年日記帳(2003〜2007年)には、さらに大きな発見があった。
東大検見川グラウンドでの定期戦の最も古い記録である。試合形式も今と
変わらない!優勝杯もあった朧げな記憶がある。始まりは 2003年か?

★2003年11月23日(日)くもり 肌寒い
12時に新検見川に集合 東大OB、一橋OB、東大職員チームで
試合(20分×6)テレコムからも5人参加 グランドが悪くて
ボールが足につかない 疲れる

注)テレコムとは私がフリーになる前に勤めていたTV番組制作会社
テレコムスタッフのこと。この会社の若者5名を助っ人に呼んだ。
おかげで優勝したが、後で東大OBたちから苦情が出た記憶がある。

★2004年11月23日(火)
東大検見川Gで恒例のOB戦 今年は参加人数が少なめで疲れる
東大優勝、一橋は2位、東大職員チームは3位

この日記の記載を補足証明してくれる資料がある。
池森さんが提供してくれた「東大サッカー部史(50年度版)」だ。
これは東大ア式蹴球部の創部90周年記念『闘魂90年の軌跡(2008)』を
発刊する際に集められた「昭和50年度卒業者関連の投稿」で、
特にダックスの鵜沢聖治さんの寄稿「泥蹴会と東大ダックス」が興味深い。
記述内容前半の When/Where が、はっきりしないのが残念だが・・

“泥蹴会の方々が卒業して何年かして、池森さんから「11月23日に
泥蹴会メンバーが集まるので親善試合をやりませんか」と声をかけて
いただいたのが、泥蹴会と東大ダックスの定期戦の始まりでした。
途中から一橋OBも加わり三つ巴で定期戦をやることになりました。
ダックスは万年最下位に甘んじていたのですが、2006年に待望の
優勝杯を手にすることができました。そのときのダックスの仲間の
喜びようは大変なものでした。しかし翌年には、再び泥蹴会に
優勝杯を持っていかれてしまいました”

やはり優勝杯はあった! もうひとつの証拠資料は、
毎年の優勝チーム名を記してカップに結ばれたリボンである。
ダックスの小出さんがチェックし、リストを作ってくれた。


抜けた年が多少あるものの、私の記憶と日記帳の記載通り、
2003年はPASSKEL、2004年と2005年は泥蹴会が連覇、そして翌年
ダックスが待望の初優勝を果たすも、2007年は再び泥蹴会が優勝・・
この流れは “再び泥蹴会に優勝杯を持っていかれてしまった” という
鵜沢さんの記述にピッタリ符号する。

では、この定期戦の始まりはいつなのか?
上記のリストの中で一番古いのは 2002年の優勝リボンである。
ということは、2002年(平成14)11月23日が始まりなのか?

【検証④:酉松会新聞創刊号】
最後に決定的な証拠資料を紹介しよう。
酉松会新聞の創刊号(2008)に掲載された山根くんの寄稿である。
私が編集長をやるようになったのは Web新聞になった2014年からで
紙で配られていた時代の新聞だから、彼も私もすっかり忘れていた。
読み直してみると、以下のような重要なことが書かれていたのだ。

“東大の76年(昭和51年)卒業メンバーは毎年全国から集まってきて、
東大職員と定期戦をやっていた。東大の幹事役池森さんから声がかかり、
3チーム対応戦を始めたのが96年。7年前からは「FC東京杯」を争う
カップ戦に発展。最初の3年間は一橋が圧勝していたが、ここ数年は
東大と東大職員に競り負けて2年連続最下位”

96年の「3チーム対応戦」はダックスではなく興銀OBだったが、
大事なのは、その次の文章である。「7年前からカップ戦に発展」と
「最初の3年間は一橋が圧勝」という部分だ。先述のリストによれば
東大の優勝は2004年で、その前に一橋は「3年間圧勝」しているから、
「カップ戦」の始まりは 2001年(平成13)になる。確かな事実と
認定できる写真や証言もないが、これをもって本稿の結論としたい。

まだまだ 1997-98年、2000年のOB戦など不明な点は多い。
2001年「カップ戦」の試合会場が検見川グラウンドだったかどうかも
定かではない。来年の11月23日、泥蹴会・ダックスの皆さんと共に
しばしのタイムトラベルを楽しめればいいなと思っている。






蛇足になってしまうが、下の東大検見川グラウンドの MAPを見ると
初期の定期戦の試合会場は、現在恒例となっている「第1サッカー場」
ではなくセミナーハウスの奥にあった「第3サッカー場」だったような
気がする。これも検証したい事案ではある。

矢尾板健二先輩、ご逝去

2025年12月19日  タグ: 訃報   コメントする

昨日、住友商事OB会から谷口伸一さん(昭51卒)にメールがあり、
11月25日に矢尾板健二さん(昭48卒)が逝去されたそうです。
謹んでお悔やみ申し上げます。

すでに葬儀を済まされたそうで、それ以上のことは不明です。
詳しいことがわかり次第、寄せられた追悼メッセージを添えて
来年3月発刊予定の酉松会新聞に掲載するつもりです。

戦後の物故会員一覧

2025年12月18日  タグ: 訃報   コメントする

幹事会では「酉松会会員名簿」の整理を随時進めています。
2024年6月末までに判明している戦後卒業OBの物故者は
下記の通りです。謹んでお悔やみ申しあげます。
なお他の物故者に関する情報をお持ちの方は、このサイトの
OB掲示板に投稿されるか私のメールアドレスにご連絡ください。
よろしくお願い致します。

酉松会新聞編集長 福本 浩(昭52卒)

昭21. 9卒 西浦 正吾 昭和21年(1946) 逝去
昭21. 9卒 高橋 三善 平成13年(2001)12月 逝去
昭21. 9卒 川端 良三 平成20年(2008)10月30日 逝去
昭21. 9卒 奥村 一郎 平成28年(2016)7月5日 逝去

昭22卒 松浦 巌 昭和55年(1980)11月28日 逝去

昭23卒 高柳 晋   平成6年(1994)5月21日 逝去
昭23卒 永倉 真平  平成6年(1994)7月17日 逝去
昭23卒 佐藤 裕之  平成10年(1998)12月24日 逝去
昭23卒 丸山 節夫(専)平成19年(2007)9月2日 逝去
昭23卒 布谷 由之  平成25年(2013)11月20日 逝去
昭23卒 鈴木 哲夫  平成26年(2014)9月1日 逝去
昭23卒 小島 壽   平成27年(2015)1月6日  逝去
昭23卒 外岡諒三郎  平成28年(2016)5月18日 逝去
昭23卒 加藤 省   令和2年(2020)3月24日 逝去

昭24卒 森重 利直  平成22年(2010)4月10日 逝去
昭24卒 蛯子 義文  平成22年(2010)8月14日 逝去

昭25卒  森 一美  昭和63年(1988)4月9日 逝去

昭26卒 渡辺 俊夫  平成5年(1993)2月28日 逝去
昭26卒 石川 正和  平成20年(2008)6月29日 逝去

昭27卒 井田 澄也  平成4年(1992)10月1日 逝去
昭27卒 吉沢 弘泰  平成4年(1992)10月6日 逝去
昭27卒 鵜飼 質   平成22年(2010)9月11日 逝去
昭27卒 木滑 勇   平成28年(2016)12月11日 逝去
昭27卒 小林 達夫  平成29日(2017)2月8日 逝去

昭28卒 針谷 操   没年月日不詳 逝去
昭28卒  堤 光義  昭和47年(1972)4月6日 逝去
昭28卒 高橋 敬蔵  平成8年(1996)3月16日 逝去
昭28卒 石井 弘志  平成19年(2007)4月10日 逝去
昭28卒 田原 洋二  平成24年(2012)9月 逝去
昭28卒 斎藤 隆   平成29年(2017)4月26日 逝去
昭28卒 高田 菊夫  令和5年(2023)10月25日 逝去

昭29卒 本田 忠勝  昭和28年(1953)1月28日 逝去
昭29卒  森 康全  平成18年(2006)3月5日 逝去
昭29卒 高末 隆   平成20年(2008)5月1日 逝去
昭29卒 田中 豊二  平成21年(2009)10月24日 逝去
昭29卒 山下 誠一  平成25年(2013)8月19日 逝去
昭29卒 宮田 幸三  平成28年(2016)10月26日 逝去
昭29卒 神代 祥男  平成30年(2018)10月28日 逝去

昭30卒 高田 勝巳  平成27年(2015)3月30日 逝去

昭31卒 桃井 晴光(昭二改) 平成8年(1996)6月6日 逝去
昭31卒 馬場 猛   平成20年(2008)3月2日 逝去
昭31卒 福江 睦郎  平成28年(2016)10月15日 逝去
昭31卒 志摩 憲一  令和2年(2020)4月17日 逝去
昭31卒 石原 慎太郎 令和4年(2022)2月1日 逝去

昭32卒 日方 大三郎 平成24年(2012)4月14日 逝去
昭32卒 中路 信   平成25年(2013)6月28日 逝去
昭32卒 佐竹 明和  令和3年(2021)5月15日 逝去
昭32卒 浅井 浩夫  令和4年(2022)2月頃 逝去

昭33卒 清水 裕   平成24年(2012)4月 逝去
昭33卒  林 祐三  平成28年(2016)3月10日 逝去
昭33卒 中田 鉄弥  (没年月日不詳) 逝去

昭34卒 鈴木 久弥  平成24年(2012)3月30日 逝去
昭34卒 大石 仁   令和7年(2025)初め 逝去

昭35卒 田中 高峯  平成24年(2012)3月1日 逝去
昭35卒 小杉 泰夫  平成27年(2015)1月29日 逝去
昭35卒 鎗田 良昭  令和4年(2022)12月19日 逝去
昭35卒 石原 良三  令和6年(2024)9月 逝去

昭36卒 小澤 純一  平成27年(2015)1月21日 逝去
昭36卒 村上 信勝  おそらく令和5年(2023) 逝去
昭36卒 高柳 雄一  令和7年(2025)8月8日 逝去

昭37卒 大野 章雄  平成21年(2009)9月6日 逝去
昭37卒 久保田 秀一 平成29年(2017)6月6日 逝去
昭37卒 瀬戸 泰   令和5年(2023)2月7日 逝去

昭38卒 野上 圭一  平成20年(2008)1月3日 逝去
昭38卒 細野 宣昭  平成24年(2012)7月21日 逝去
昭38卒 岡田 紀雄  平成26年(2014)2月21日 逝去
昭38卒 吉田 弘司  令和4年(2022)3月15日 逝去

昭39卒 菊池 英輔  平成25年(2013)11月14日 逝去
昭39卒 石綿 浩之  平成28年(2016)12月5日 逝去
昭39卒 中村 肇   令和5年(2023)3月11日 逝去
昭39卒 池田 致   令和5年(2023)8月12日 逝去
昭39卒 大橋 祥勝  令和5年(2023)11月26日 逝去

昭40卒 朝来野 紀生 平成10年(1998)7月17日 逝去
昭40卒 古川 和正  平成26年(2014)6月20日 逝去

昭41卒 清水 征四郎 令和1年(2019)10月13日 逝去

昭42卒 槇田 元生  令和2年(2020)9月13日 逝去

昭44卒 中澤 泰二  令和4年(2022)12月13日 逝去
昭44卒 清水 幸男  令和5年(2023)3月4日 逝去

昭45卒 望月 公雄  没年月日不詳 逝去
昭45卒 渡辺 恵   令和4年(2022)3月16日 逝去

昭46卒 丸山 清八  平成8年(1993)8月29日 逝去
昭46卒 竿代 興志  令和5年(2023))3月25日 逝去

昭48卒 新福 正   平成5年(1993)6月21日 逝去
昭48卒 矢尾板 健二 令和7年(2025)11月25日 逝去

昭49卒 杉山 正敏  令和3年(2021)9月18日 逝去

昭51卒 倉田 徹   平成23年(2011)12月22日 逝去
昭51卒 池田 克彦  平成26年(2014)2月6日 逝去

昭52卒 安部 裕二  平成30年(2018)5月15日 逝去

昭54卒 山原 義彦  平成17年(2005)9月11日 逝去

昭55卒 入江 憲二  昭和59年(1984)5月 逝去

昭60卒 奥村 俊彦  平成29年(2017)6月10日 逝去

昭61卒 桑原 隆人  令和6年(2024)6月19日 逝去

昭63卒 宮木 和彦  平成13年(2001)11月 逝去

平4卒   横山 昌幸  平成10年(1998)6月22日 逝去

平22卒 山田 雄之助 令和2年(2020)9月24日 逝去

東大OB・職員との定期戦

2025年11月25日  タグ: トピックス   コメントする

11月23日、毎年恒例の東大OB・職員との定期戦が行われた。
今にも雨が降りそうな肌寒い天気、我が一橋は、わずか13名。
1本目から肉離れを起こす選手もいてギリギリの戦いとなり、
ほとんどのメンバーが20分X4本出ずっぱり。膝が不安な私は
(全員そうなのだが・・)10分X4本で勘弁してもらった。
それでも、こんなに出たのは初めてか?

一方、東大OBチームは10分で5〜6名交代できる余裕があり、
羨ましかった。交代が多すぎて、12名になっていることに
笛が鳴った後も気づかなかったのが2度もあった。ご愛嬌(笑)




というわけで、柄にもなく2年連続で優勝していた一橋だったが、
今年は得点ゼロで3位(つまりビリ)、定位置に落ち着いた(笑)
優勝したのは中学生の孫(結構うまい)を登場させた東大職員チーム。
一応60歳以上が原則であり、それはずるいんじゃないかという声も。
ただ東大OBチームも30代の娘婿が参戦しているし、一橋も平成卒の
50代後半の助っ人がいるし、大きな声では言えない。まあ、いいか。

さて、試合後のお楽しみ。
懇親会は今大会の最長老で79歳になられる有田 稔先輩(昭44卒)の
乾杯の音頭で始まる。有田先輩は現役時代同様サイドバックを4本務め、
堅実な守備と疲れを知らぬ走力で大会MVPにも選出された。めでたい!
誰もが80代まで頑張ろうと誓い合って今年も無事に散会した。

福本 浩(昭52卒 酉松会新聞編集長)記