酉松会(ゆうしょうかい)とは、
一橋大学サッカー部の活動を支援するOBの団体で
OB・現役有志の寄稿による「酉松会新聞」の発行、
OB戦やフットサルの開催など様々な活動を行い、
当ウエブサイトで公開しています。

写真で辿る小平の記憶 ❷

昭和40年代、小平キャンパスは大きく変わっていく。
まず昭和41年7月1日から、西武多摩湖線の最寄駅が変わった。
それまでは国分寺駅から1つ目の一橋大学駅(戦前は商大予科前駅)だったが、
2つ目の小平学園駅と共に撤去され、両駅の中間点に現在も使われている
一橋学園駅ができたのである。写真で辿ってみると・・






昭和42年から小平キャンパスの新築・改築ラッシュが始まる。
戦前に建てられた木造の体育館、図書館、一橋寮、弓道場、浴室及便所が取り壊され、
わずか数年の間に次々と鉄筋コンクリート造の建物に変わっていった。
その凄まじい変貌は、昭和41年と47年の「建物配置図」を比べれば一目瞭然。
小平キャンパスは新時代を迎えたのだ。

昭42(1967)合併教室(1号館)
昭43(1968)新学生食堂(生協食堂、後に小平カフェテリア)
昭45(1970)新体育館 / 新館教室(2号館)/ LL教室 / 新図書館 / 職員宿舎
昭46(1971)新柔剣道場
昭47(1972)4階建2棟の新一橋寮





昭47(1972)
新一橋寮が竣工したこの年、もう1つの変化がある。
学生控所(部室)に並ぶ食堂の一部が取り壊され、生協に改築された。
昭和43年に新しい学食ができたので必要がなくなったということか。


昭48(1973)
新体育館と新一橋寮の間に50mプールができた。
戦前に造られたプールは写真で見る限り短いので、25mだったのか?
さらに弓道場と浴室及便所が撤去され、プレハブの部室が設置されている。
課外活動の部が増え、部室が足りなくなったためか?
アメフト部のプレハブ部室もあるので、活動を始めたのはこの頃か?
いろいろわからないことが多いので情報を集めたい。



昭45(1970)〜 昭46(1971)
少し年度が戻るが、小平グラウンドも大きく姿を変えた。
それまでのサッカー場は玉川上水に並行してタッチラインが引かれ、
ゴールは東西に設置されていた。東ゴールの隣にあるシュート板は、
昭和28年にOB有志の寄付によって設置されたものだが、
およそ10年後にボロボロになり、昭和41年に修復されたようだ。





「建物配置図」には記載されていないが、OB諸氏の記憶によれば、
昭和45年の暮れから46年の春にかけて大規模な改修工事が行われたという。
ホッケー場は、撤去されたテニスコートの跡地に移動。
サッカー場は90度向きが変わり、ゴールは南北に設置され、
それに伴いシュート板も南側に新設された。
人工芝になった現在のサッカー場は少しワイドになったが、
新しいシュート板の位置は、50年前とまったく変わっていない。




以下、次号に続く・・・

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