酉松会(ゆうしょうかい)とは、
一橋大学サッカー部の活動を支援するOBの団体で
OB・現役有志の寄稿による「酉松会新聞」の発行、
OB戦やフットサルの開催など様々な活動を行い、
当ウエブサイトで公開しています。

トピックス

2022. 7. 31 夢の軌跡

2022年8月3日  タグ: トピックス   11件のコメント

一橋大学ア式蹴球部 長島直紀(3年・事業本部長)

3年ぶりとなる有観客開催試合が駒沢公園第二球技場にて開催された。
一橋が相対するは、宿敵・東大。「商東戦」と呼ばれるダービーマッチ。
1922年、日本初のリーグ戦である専門学校蹴球リーグ戦に参戦した
「一橋ア式」「東大ア式」の両校の一戦であり、2022年となる今年、
「日本で最も伝統のあるダービーマッチ」として100周年を迎える。
特別な相手との一戦に会場には両校併せて600人を超える観客が集まり、
予想を超える熱狂が広がった。

5月の対戦では1:2で敗れ、東大はリーグ2位で一橋は6位。
順位を見てもチームの状態を見ても相手に分があると思われた試合を
制することができたのは、間違いなく集まったサポーターの方々が
最高の雰囲気を創り出し、熱い応援の想いを届けてくれたおかげだと
確信している。関係する全ての皆様に、最大限の感謝を送りたい。
誰1人欠けていても、あの幸せに溢れた空間は創り出せなかった。
夢のような、奇跡的な空間だった。

私は「事業本部長」という立場で活動をしている。
ホームタウン地域や保護者・OBOGといったコミュニティの中での
多様な事業活動を通してファンを増やし、愛されるクラブを作ることを
ミッションに日々活動を行うア式の中では少し変わった役割の人間だ。

これまで、沢山のチャレンジをしてきた。
クラブの中長期的な競技力の強化、クラブとしての総合力の向上を
見据えた時に必要となる「事業面での取り組みの振興」、そして
「収益力の向上」を推し進めることを自らの使命としてきた。
「クラブをもっと魅力的にすること」
「その魅力をサポーターに届け、地域に伝え、ファンコミュニティを
拡大し、沢山のお客さんに試合に来てもらうこと」を目指して、
一橋ア式の歴史にない新しいチャレンジを数多くしてきた。
しかし、目に見える成果は全く残せていなかった。

コロナウイルス蔓延の影響で大学サッカーでは無観客開催が続き、
事業活動の先にあるはずの観客動員の増加という目標は
果たされるどころか、いつまで経っても「0」のまま。
クラブ全体を巻き込んで選手にも協力してもらいながら活動を広げてきた
事業活動の先に果たして何があるのか。不透明で見通しが立たない中、
「何の意味があるんだ」と思われても仕方がない状況で、ここまで来た。

自分が相手にしているのは誰なのか。
本当は誰も自分たちに見向きもしていないのではないか。
いつしか不安になり、無力な自分を情けなく思うようになった。
使命や志といった正のモチベーションが自らを責める気持ちに形を変え、
負のモチベーションへと変わっている気もしていた。

そんな葛藤の中迎えた試合当日。止まらない客足。
ずっとずっと、皆さんにお会いしたかった。
この日が来ることを信じて、長く闘ってきた。
これだけの人が自分たちのために集まってくれたという事実、
それ自体が、自分にとっては何にも代え難い幸せで、
「このために自分はここにいるんだ」と、強く感じた。

何の価値も残せなかった、あの日の努力、
成果が生まれなかった取り組み、
自分の力不足で形にしてあげられなかったみんなの協力、
ここまで積み重ねた数々の失敗、
その全てを救ってやれた、意味が生まれたような感覚を得た。
足を運んでくれた一人一人に、心の底から感謝の思いを
声を大にして伝えたい。



そして、選手、スタッフマネージャーのみんな。
大勢のお客さんの前でプレーすることが、
どれだけのプレッシャーになっていたかは、
実際にプレーをしない自分であっても感じ取れた。

この舞台を創るきっかけは良くも悪くも自分で、
この舞台は個人的で自己満な想いの結晶。
勝手な重圧を自分からみんなへと課している、そんな試合だった。

少しでもマイナスな方向に、この環境が働かないように、
いつものように楽しんでサッカーができるように、
ただただ祈る思いだった。
そんな、莫大な愛情と多少の罪悪感が混在した
駒沢第二のピッチでのみんなのパフォーマンスは実に素晴らしかった。

計り知れない緊張の中、
ピッチに立ちプレーをするのは、本当に怖かったと思う。
この日を迎えるまでのトレーニング、努力も苦しかったと思う。
それでも、怖さや苦しさをちゃんと正面から受け止めて、向き合って、
みんなは堂々とプレーをしてみせた。




運営にあたっていたから、実は試合をちゃんと観られなかった。
それでもわかった。お客さんの顔や反応を見ればわかった。
あの空間にいれば、プレーを見なくとも、みんなの気迫、
それに心を揺さぶられたお客さんの反応で、みんなの戦いぶりを
容易に感じ取れた。それほどの空間が広がっていた。

そんな選手たちをを支える、スタッフマネージャー陣にも
相当な緊張と負荷をかけたが、この日まで選手に寄り添い続けてくれた。
どんな事にも柔軟に対応して、常に暖かくサポートしてくれるみんなの
存在はチームに取って欠かせないもの。いつも本当にありがとう。

応援や業務のサポートに入ってくれたメンバー。
悔しい思いや複雑な感情がある中でも、クラブとして、ファミリーとして、
一丸となってこの日を創り上げてくれた。決して簡単なことではなく、
素晴らしい事だと思う。みんなは俺の誇りだと、宝物だと心の底から思った。
ほんとすごいよ、みんな。


いつも自分はベンチに入り、できることは多くないなりに
「仲間を鼓舞して想いを形にして表現し共有すること」を大事にしている。
点が入ったら誰よりも喜んで、叫んでしまう。選手にも負けない
強い想いを持ってピッチレベルに立っていると、自分では思っている。

しかし、この日はベンチに入らず、都学連の学生幹事として
先に行われる1部リーグの試合を含め試合運営・観客管理の責任者としての
役割を受け持った。この役割は、きっと自分にしかできなかったと思うから、
これが、この日のベスト。

普段は好きなだけ伝えている
みんなへの想いを届けることができない歯痒さ。
感情を爆発させられないもどかしさ。
複雑な思いもあったけど、きっちりと2試合の開催を遂行することができた。
この舞台を共に作り運営にあたった都学連学生幹事のみんなにも
この場を借りて、お礼と賞賛の言葉を送りたい。
特に「グッチ」こと、3年STAFFの溝口幸太郎、お疲れ様。
グッチがいなきゃ成り立たなかったよ。

工藤が決めた決勝ゴールも、運営の最中で観ることができなかった。
勝利の瞬間は脳しんとうで負傷退場した相原の救急搬送の対応に
あたっていて、グラウンドで共にすることはできなかった。


試合終盤、自分は同期の相原と一緒にいた。
1年から苦楽を共にした相原は、この夏からアメリカへ留学へ行くから
この試合を最後にしばらく部から離れる。交替した直後の負傷だった。
わずか1分ほどの出場で終わる。無念、以外の言葉が見つからなかった。

一時意識を失い、回復した後も記憶が飛んでしまっていた相原は、
「何でここにいるんだっけ?」「今試合中なの?」というような状態。
「東大と試合して、今1-0で勝ってる。みんな超頑張ってるよ」
と伝えると安心したようで、少しリラックスした顔つきになった。

試合終了の笛が響いた後、相原に勝利を伝えた。
記憶を無くしてるはずなのに、なぜか幸せそうな、
満面の笑顔を浮かべた相原の表情を、自分は一生忘れないと思う。

立場上、相原にはいっぱい喝を入れて、怒ることも多かったけど、
部を離れてもずっと応援してるし、いくらでもサポートする。
頑張ってこい。あの瞬間を相原の近くで共有できて良かったよ。
何かを掴んで、また部に帰ってきてくれ。

直前でこの試合に来られなくなった4年DFの東明建志さん、
そして無念の退場をした相原の思いを背負い、
ブレずに闘い勝ち切ってくれたことをただただ嬉しく、誇らしく思う。
そこにほんのちょっとでも、自分の思いも乗っけてくれてたら嬉しいな、
とか呟いてみる。笑



普段から酉松会幹事として大変なご支援をいただいているOBの方に
呼び止められお話をした。その時に、「僕はもうこんな年寄りだけど、
長島くんと話をしていると、ア式蹴球部の未来にワクワクできるんだ」
と、嬉しそうにお話をしてくれた。胸が熱くなった。

自分は選手ではない。身体を使って想いを表現することができない。
人の心を動かすような闘いぶりを見せることはできない。
それは選手の特権で、自身が誰かに勇気を与えることは
もうできないと思っていた。そうではなかった。
自分のことを認め、応援してくれる人がいる。自分の頑張りで、
たとえわずかな影響だとしても、元気になってくれる人がいる。

試合が終わった後、後輩と話していて
「今日勝てたのは本当に来てくれたお客さんのおかげだな、
応援すごかったな」って話をしたら、
「なおきさんのおかげで来てくれた人たちなんだから、
なおきさんのおかげで勝ったんだ」って言ってくれた。
「いやいや、選手の頑張りとお客さんの想いあってだよ」
って思うけど、純粋にとても嬉しかった。
そして今日くらい、少しだけ自分を褒めてやりたいと思う。
よく逃げなかった。

文字通り全てをかける想いで
4ヶ月間準備をしてきた「IKKYO ASHIKI JAM」が中止になり、
これまでの人生でかなり上位にくるであろう挫折をした。
あそこで潰れていてもおかしくなかったな、と思うけど、
少しだけ時間をかけて切り替えて、
7/31を可能な限り最高な舞台にすることに最大限注力をした。
浮いた予算をどう活用すれば盛り上げられるか、
選手たちを勇気づけられるか、短い期間で考え、なんとか形にした。

駒沢公園をエンジ色に染める「一橋」パネル、みんなちゃんと気づいた?
観客が声を出せない中で、どうにかしてお客さんが持つ応援の想いを
形にできないか悩んだ結果の産物です。デザイン結構頑張ったんだぜ。


横断幕も急遽作成した。
サプライズにしたかったから監査をちゃんと通してない。笑
OB幹事会で、きっと怒られるだろうなぁ。

自分を褒めたいと書いたけど、本当は心配の連絡をくれたり、
自分を労ってコンビニで山ほどお菓子を買ってくれたり、
ありのままの自分を受け入れて、時間を気にせず電話越しに
一緒にいてくれたり、そんなみんなのおかげで回復できたからだったりする。

「自分のことをたくさん愛して、ア式のためより
自分のためをしてください」って伝えてくれた後輩がいた。
おかげさまで考えが整理されて、落ち着いて状況を見ることができた。
不必要な自己満の自己犠牲に気づけた。気持ちが楽になった。
本当に救われた。ありがとう。

ただ一方で「自分の幸せってなんだ?」と、それから長く考えた。
答えはなかなか出なくて。でも奇跡のような7/31を経て、
なんとなく確信した。自分はア式が好きで、ア式にいる自分が
一番好きなんだと思う。だから、自分をもっと大事に思えるように、
ア式の環境や可能性をもっと高めてさらに魅力的なものにしたいと、
今は心から願う。もちろん、神経をすり減らしながら頑張るのではなく、
自分自身が誰よりも楽しんで夢中になった状態で、自分とア式のために
これからも頑張りたい。

沢山の人が来ることが、
すなわちプレッシャーになると考えていた自分は間違っていた。
皆さんの想いや愛情は、どんな苦しい状況でも
自分たちを立ち上がらせてくれるものなのだと、
自分にとっては初めてとなる有観客の試合で体感した。

長々と脈絡無く想いを書いたが、ともかく。
みんなと、この日を迎えられて良かった。
ア式蹴球部にみんながいて、自分がいて、本当によかった。
涙が溢れ出して止まらない、本当に幸せな気持ちです。

この場を借りて改めて、試合の観戦に来ていただいた
600名を超える皆様に心からの感謝を伝えさせてください。
本当にありがとうございました。この日のような環境を何度でも創り、
皆様と多くの喜びを共有できるよう、事業本部長として
尽力していきたいと思います。これからも変わらず、
暖かく愛情溢れるご支援・ご声援をよろしくお願いいたします。

まとまりが全くなくて、めちゃくちゃ読みにくい文章だったと思いますが、
読んでいただきありがとうございました。
最後に、横断幕「PRIDE OF IKKYO」の文字の下に綴った
メッセージで締めたいと思います。

Always with Supporters, Families, KUNITACHI, KODAIRA、
and All Team Members.

関わるすべての人たちと、今回だけでなく、何度でも、
素晴らしい豊かな時間を共有できるように。
これからも精進していきます。

2022. 8. 1 記

100周年の商東戦に勝利!

2022年8月1日  タグ: トピックス   5件のコメント

3年ぶりの有観客試合、しかも100周年を迎えた東大戦に1:0で勝つ!
単に勝っただけでなく内容でも東大を終始上回るナイスゲームだった。
OBOGや保護者・友人が400名ほど集まり大いに盛り上がった。
会場となった駒沢公園第二球技場は、昭和40年度(1965)のリーグ戦で
3試合が行われた場所。当時を知る70代後半のOBにとっては、
感慨ひとしおだったろう。



余談になるが、お隣の駒沢陸上競技場は1964東京五輪のサッカーで
日本代表が予選リーグ3試合と準決勝を戦った記念すべき場所。
しかしそこは一橋が関東リーグで戦った昭和49~51年度(1974~76)、
3年連続で下との入替戦が行われた会場であり、私が4年の時に
東京都リーグに落ちた悔恨の場所でもある。そこじゃなくてよかった(笑)



さて試合内容だが、前半から一橋は奪ってから攻撃につなげる連携が
非常にアグレッシブで終始東大を圧倒した。惜しいシュートも何本かあり、
ため息が続いたが、ようやく後半21分、3年MF小林尚史が左サイドから
送った短いクロスを右サイドにいた4年MF皆川開がヘッドで折り返し、
東大GKが弾いたボールを3年FW工藤稜也が押し込み、待望のゴール!
これが決勝点となった。


炎暑と高い湿度の中の試合ということで、前半と後半それぞれに
クーリングタイムと給水タイムがおよそ15分間隔で取られている。
高校サッカーのインターハイも同じ。試合の流れが切られるので
選手としては難しい。特に負けてる方がイライラするだろう。

後半35分、アクシデントが起こる。
東大DFのクリアボールが至近距離にいた3年MF相原昌典の頭を直撃。
交替で入った、わずか1分後の出来事だった。しばし意識を失って
倒れたまま動かなかったが、まもなく気がつき水を飲んでいた。
幸い軽い脳震盪で済み大事には至らなかったそうだ。

試合は10分ほど中断した後、再開。
東大のパワープレイをよくしのぎ、1点を守り切って勝利した。
一橋は現在13試合を終えて6勝1分6敗で勝ち点19、リーグ6位。
残り7試合の奮起を期待する。


今日の試合、3年FW鈴木元貴が左サイドを三笘薫ばりのドリブルで
突破するのが光っていた。そして4年CB加藤紘基のデュエルの強さ、
冷静なラインコントロール、危険を察知するポジショニングも見事だった。
今度は小平Gで観たいものだ。

酉松会新聞編集長 福本 浩(昭52卒)記

2021東京五輪サッカー GL組合わせ決定!

2021年4月22日  タグ: トピックス   コメントする

⚽️本当に久しぶりの国際大会、
東京五輪サッカーGL・決勝T の表を作ってみました。
これを楽しみに今後も自粛生活を続けていく所存です。

【男子】

【女子】

男子は、なかなか厳しい組になりましたが、
私はベスト4までは行くのではないかと楽観しています。
なでしこのグループリーグ突破は楽勝。その後は打倒イギリス、アメリカ。
ぜひ新国立競技場で、日本 vs アメリカを観たいものです。

五輪開催に反対の方も多いと存じますが、私は開催を切に望んでおります。
来たる7月25日のGL第2戦、フランス vs 南アフリカ、
そして日本 vs メキシコの試合を、埼玉スタジアムにて、
マスクを付け、大声は張り上げずに応援することを誓います。
試合展開によっては守れないかも知れませんが、何卒ご容赦くださいませ。

酉松会新聞編集長 福本 浩(昭52卒)記

人工芝で練習開始!

2021年3月26日  タグ: トピックス   コメントする

3月26日、小平Gは桜満開! 少し汗ばむ陽気。



緊急事態宣言の解除を受け、22日から人工芝で練習が始まる。
Bチームが 8:15〜10:30、Aチームが 10:30〜12:45 というスケジュール。
戸田和幸新監督の指導のもと、部員たちは溌剌とメニューをこなしていたが、
少し緊張気味に見えた。写真は、Aチーム24名の練習風景。






アメフトコートの人工芝敷設も完了。すでに練習を始めていた。
野球場はもう少しだが、予定通り3月末には竣工できそうである。


4月3日(土)日本時間 20:00〜20:30 から
アメフト部・準硬式野球部と共同で「竣工記念式典」をオンライン開催。
詳細については決まり次第追記するので、お楽しみに。

人工芝工事 NEWS ⑧:観客席とやぐら到着!

2021年3月20日  タグ: トピックス   コメントする

3月19日、桜がほころび始めた小平グラウンドに
移動式の観客席とやぐらが到着した。
観客席はタッチライン東側のフェンス沿いに置かれる。
現在は土がむき出しになっているが、緑の防草シートが敷かれる予定。
やぐらは練習・試合中にはサッカー場とアメフト場の間に置かれ、
使わない時には別の空いたスペースに移動(場所検討中)。



サッカーコート内に敷かれた野球場のファウルラインは、
紛らわしいので白から黄色の線に敷き直された。
近くに行くと黄色は目立って気になるかもしれないが、
遠目には、ほとんど気にならない。


ところで、昔のサッカーコートの長さと幅は何メートルで、
現在の人工芝コートは何メートルになったのか?
大久保寧先輩(昭50卒)が、こんなエピソードを寄せてくれた。

“正直言って、あの頃は自分達で石灰ライン引いていたし、
決して一直線には引けていなかったと思います(笑)。
当時、玉川上水側のゴールはあまり動かされる事は無くて場所が固定されて
いましたが、校舎側のゴールはよく動かされていたので、練習や試合前に
何人かで運んだのを覚えています。その際に何mかなんて考えた事は無く、
「多分この辺だったやろ」とテキトーに置いていたと思います(笑)。
その辺の作業をもっと丁寧にやっていれば、ギリギリのセンタリングで
ゴールが生まれて、リーグ戦の結果も変わっていたかも知れませんね。
写真を拝見する限り、かなりまっ直ぐにラインが引けていますね。
上達したんですね(笑)。”

*2020年2月 三商大戦

それでは、正解。

昔:96m × 63m (工事前に日本体育が測定)
今:102m × 68m (この日、測定に立ち会って確認)

かなり長さも幅も伸び、どこに出しても恥ずかしくないグラウンドになった。
まさに、「サクラサク」である。