酉松会(ゆうしょうかい)とは、一橋大学サッカー部の活動を支援するOBの団体で
OB・現役有志の寄稿による「酉松会新聞」の発行、
OB戦やフットサルの開催など様々な活動を行い、
当ウエブサイトで公開しています。
現役の諸君が、後期リーグの第9節、武蔵大学を3:1で破り、
ついにやってくれました。以下、「小平通信」より転載します。
【マッチレビュー】
10月23日12時20分、首都大学東京グランドで東京都2部リーグ最終節、
武蔵大学戦の火蓋が切って落とされた。勝ち点が同じの一橋と武蔵、
勝利した方が1部昇格を決める、まさに天王山である。
たくさんのOB・OG、保護者、関係者方に応援に駆けつけて頂き、
ピッチ内外が一体となって試合に臨んだ。
先制点が欲しい両チームだったが、先にゴールネットを揺らしたのは、
武蔵だった。FKから失点を許してしまう。早い時間にリードを奪われ、
武蔵の出足の早い守備に攻撃を潰されてなかなか繋げない展開となったが、
一橋は、すぐに追い付くことに成功する。
21分、#35中野正が快足を飛ばして左サイドでキープから鋭いクロスを
あげると、ファーから#30宗が頭で叩き込む。
追い付いてから繋がりが出てきた一橋と、強力FWが脅威となっている武蔵。
後半に入って勝ち越したのは一橋だった。
60分、裏に抜け出した#30宗がミドルレンジからボレーシュートをゴール
右に叩き込む。焦りを見せ、ロングボール中心になった武蔵の攻撃に対し、
集中した守備を見せた一橋は77分、#11手島のフリーキックに#38吉田が
頭で合わせ、価値ある追加点をあげる。
その後の武蔵の猛攻を耐え抜いて、遂に試合終了のホイッスルが鳴り響き、
一橋の36年振りの東京都一部昇格が決まった。これで東京都2部リーグの
全日程が終了し、一橋大学は11勝4敗3分、勝ち点36の2位という結果となった。
また、#1池田修の優秀ゴールキーパー賞、フェアプレー賞の受賞も決定した。
長いリーグ戦は、最終戦まで昇格の行方がもつれ、昇格という最高の結末と
なりました。関係者一同これに勝る喜びはありません。学生の諸君、お疲れ
様でした。勝って兜の緒を締めよとはいいますが、新しいスタートに向けて、
新4年生は、しっかりと計画を立てて、頑張ってほしいものです。
大石嘉彦(H5卒)
7月5日(日)午後2時より、
小雨が降ったり止んだりのあいにくの天気の中、東大、学芸大、一橋大の
50歳以上のOBが集まり、東大の人工芝グラウンドにて巴戦が行われた。
総当たりで20分ハーフ・2セットを、2ラウンド。
東大は参加人数が多いので1ラウンドと2ラウンドの間に紅白戦を行った。
スライディングすると “ビフテキ” ができた昔の人工芝とは大違い。
言われなきゃ自然の芝だと思ってしまう。
しかも、これは一昔前のもので、今はもっと進んでいるという。
ちょっとしたカルチャーショックだった。
試合は、週に2度は練習をしているという東大がゴールを重ねていた。
しかし午後4時を回った頃、2ラウンド目の一橋 vs 東大の試合の途中、
ショッキングな出来事が起こった。
倉崎 嘉幸さん(昭56卒)が、試合中に心筋梗塞で、突然倒れたのだ。
息を荒くしていたので、みぞおちにボールが当たったのかと思ったが
次第に呼吸が弱くなっていき、事の重大さに皆が気づいた。
幸い東大チームに医師の上妻さんがいて、AEDも近くに準備されていたので、
すぐに心臓マッサージ、人工呼吸の処置ができた。さらに20分後ぐらいには
救急車がやってきて、すぐ近くの東大病院へ敏速に搬送できた。
不幸中の幸いとは、まさにこのことだ。
それから9日目、倉崎さんは順調に回復し、明日には退院することになった。
人生、何が起こるかわからない。
一番困ったのは、倉崎さんの家族の連絡先が、中々わからなかったことだ。
スマホは暗証番号を知らないと履歴や電話帳が見られない。
免許証で住所はわかったが、104は登録されていない電話番号は教えてくれない。
日曜だったので会社にもつながらない。OB名簿にも記されていなかった。
結局、本人の意識が戻るまで、家族と連絡がつかなかったのだ。
これからは緊急の連絡先や血液型を記したメモを、財布にでも入れて
おかなければならないと痛感。あるいはノートを準備し、
試合前に参加者は必ず家族の連絡先を記入することも一案である。
猛暑シーズン到来。熱中症はもちろんのこと、
涼しくても湿度が高い日の激しい運動は、注意が必要だそうだ。
みなさま、くれぐれもご注意ください。備えあれば憂いなし、です。
福本 浩(昭52卒)記
「我々は蹴球部で生まれ そして育った」(昭和16年の卒業アルバムより)
如水会館の5階にある資料室に、有志から寄贈された明治時代以来の
卒業アルバムが保管されている。その中で小平グラウンドとサッカー部の
写真が掲載されている最も古いアルバムが、昭和8年のアルバムだった。
以下、年代順に戦前の写真を並べていく。
昭和8年卒の方々が卒業20年後に制作したアルバムには、
小平の航空写真が掲載されていた。年代は定かではないが貴重な写真である。
昭和16年卒の先輩が卒業に寄せて、以下の文章を記している。
それは、70数年が過ぎた今も色あせることなく、心に響いてくる。
『六年間真剣にボールを蹴って来た』
この言葉が我々卒業する部員の本当の気持ちを表現しているだろう。
入部した時はリーグ1部の末席であった。六年の後には漸く第2位に
進む事が出来た。この戦果は我々部員が青春の全部を燃やして闘い
穫っただけに、そして充分なる団結と旺盛なる意気がこの結果を
もたらして呉れたと信ずるが故に、今やこの懐かしい部生活に訣別を
告げるに際して、感慨一人深いものがある。
我々の学生生活を最も美しく、感激に満ちた生活たらしめて呉れたのは
蹴球部であった。喜びも悲しみも、今は総てが楽しい想い出の種として
我々の脳裡に去来する。我々は心から蹴球部に感謝している。
六年の間に社会のあらゆるものが変化して来た。
然も新しき時代に於ける蹴球部の使命は愈々重くなって来たのである。
我々は、蹴球部で生まれそして成長した者として、更に一段と輝かしき
発展を祈りつつ学窓を去ってゆくものである。
残念ながら昭和17年〜昭和20年代のアルバムは無かった。
おそらく戦中戦後の厳しい時代にアルバムを作る余裕が無かった
のかも知れないし、戦禍で焼失してしまったのかも知れない。
もし、その時代の写真をお持ちの方がいらっしゃったら、
ぜひご連絡ください。
酉松会新聞編集長 福本 浩(昭52卒)記