酉松会(ゆうしょうかい)とは、
一橋大学サッカー部の活動を支援するOBの団体で
OB・現役有志の寄稿による「酉松会新聞」の発行、
OB戦やフットサルの開催など様々な活動を行い、
当ウエブサイトで公開しています。

お知らせ

幹事会報告:人工芝敷設工事が正式にGO!

2020年11月25日  タグ: お知らせ   コメントする

酉松会会員のみなさま

11月24日、小平グラウンドの人工芝敷設工事が
大学側の正式な許可を得て、12月1日から着工する運びとなりました。
工事期間は約4ヶ月。いよいよ始まります。

10月末までの寄附実績は 7,257万円(246名)で、サッカー部負担の
工事費用を除くと、およそ 1,500万円 が持ち越せることになります。
その持ち越し金は、下記の追加工事・追加設備の設置費用、
100周年記念行事と「100年史」の発行・郵送の費用、
及び10年後の人工芝補修工事等に使わせていただきます。
皆様の多大なるご協力に、改めて感謝申し上げます。

【主な追加工事・設備】
*散水設備の撤去
*新しいサッカーゴール2基
*旧シュート板の撤去と新シュート板の設置
*ボール止めフェンスネット
*コーチング及び撮影用やぐら(高さ4.9m)
*移動観覧席4セット(96名)
*ステップボード 100枚(人工芝の養生用)

人工芝寄附、6,500万円突破!

2020年7月10日  タグ: お知らせ   コメントする

酉松会 会員各位

会員の皆様におかれましてはコロナ禍・自然災害など
未曽有の災禍の中、ご苦労をされていることと拝察いたします。
コロナ第2波が現実になりつつありますので、お体ご自愛ください。

さて1年半進めてまいりました小平人工芝プロジェクトですが、
本当にあと少しのところまで来ました。
6月末までの寄附の状況は、サッカー部は 6,518万円 となり、
目標に掲げる 7,500万円 まで 1,000万円 を切りました。
アメフト部も 5,415万円 まで来ましたので、
両部合計で 1億 1,933万円 となり、3月見積もり時点での
総工費 1億 2,000万円 を、ほぼ確保することができました。

ただ100周年の記念行事、今後数年間のメンテ費用確保に加え、
サッカーコートの規格からみて狭いと指摘される点を改善する
ための追加工事、シュート板の更新、観客用の移動式観覧席の
新設なども引き続き検討中のため、
目標である 7,500万円 までは集めきりたいと思います。

少額でも構いません。
OB・OGが一致団結した結果としての人工芝プロジェクトとして
いきたいので、まだ寄付がお済みでない方、
ここまで来たのであれば更に追加で寄付をしても良いという方は、
是非とも宜しくお願いいたします。

7月4日「酉松会幹事会」より

創部100周年記念誌 ご協力願い

2020年4月6日  タグ: お知らせ   コメントする

来年「創部100周年記念誌」を発刊する予定ですが、
ついてはOBの皆さま、特に若いOBの方々のご協力が必要です。
記念誌は「沿革」と「年史」に分け、「沿革」は Website に
掲載しているようなもの、「年史」は下の参考例をご覧ください。
目標としては、100年間の全メンバーの顔を並べたいと思います。

【参考例】

『60年史』のおかげで昭和55年までのチーム情報やリーグ戦の
戦績データはありますが、昭和56年以降がまったくありません。
当該年代の幹事の方が中心となって情報を収集し、提供頂ければ
と思います。以下、必要な情報を記します。

■4年生の氏名と役職
一橋大学附属図書館に所蔵されている歴代の卒業アルバムから
サッカー部の写真をスキャンしてきました。下の写真を見ながら
4年生の名前と役職を書いて送ってください(女子マネを含む)。
・・前列左から〇〇、〇〇、というように

ただし 平成28、29、30年卒 の写真は人数が多すぎて1人1人の
判別が難しいので4年生だけで撮っている写真を送ってください。
それと、どういうわけか 昭和57年平成8年 の卒業アルバムに
サッカー部の写真がなかったので、この年卒業のOBの方は
4年生が写っている写真の提供をお願いします。

昭和58年卒               昭和59卒

昭和60年卒               昭和61卒

昭和62年卒        昭和63卒

平成元年卒                平成2年卒

平成3年卒                平成4年卒

平成5年卒                平成6年卒

平成7年卒                平成9年卒

平成10年卒               平成11年卒

平成12年卒               平成13年卒

平成14年卒               平成15年卒

平成16年卒               平成17年卒

平成18年卒               平成19年卒

平成20年卒        平成21年卒

平成22年卒               平成23年卒

平成24年卒               平成25年卒

平成26年卒               平成27年卒

平成28年卒               平成29年卒

平成30年卒               令和2年卒

■戦績
箇条書き、メモ書きでいいので、以下に関するデータを送ってください。

★試合メンバー:東京都リーグ戦の主な登録メンバー
★戦績:リーグ戦や入替戦の対戦相手、スコア、順位、各試合の期日と会場
★リーグ戦以外の主な公式試合:対戦相手、スコア、試合の期日と会場G

■記事
練習・合宿やリーグ戦の振り返りや下記のような特筆事項を、
代表の方1人が書いて送ってください。400〜500字以内がベストですが、
長くなっても構いません。私の方で適宜編集いたします。

*リーグ戦の制度変更:チーム数の増減、春秋の2部リーグ制開始など
*新しく始まった公式大会、もしくは中断・終了した大会
*部の運営の変更:新コーチやトレーナーの招聘、ユニホーム変更など
*練習が夕方から午前になったのは、いつ?
*人工芝Gのレンタル開始は、いつから?
*部室が木造から鉄筋コンクリートになったのは、いつ?
*小平分校の廃止(平成8年)以降で、何か変わったことは?
*女子マネは、いつから一橋大学生になったのか?

以上、何卒よろしくお願いいたします。

酉松会新聞編集長 福本 浩(昭52卒)記

酉松会新聞 第13号 発刊!

2020年3月1日  タグ: お知らせ   コメントする

令和になって初めての酉松会新聞、第13号の発刊です。
上は70代から下は10代まで、投稿してくださった方々に感謝です。
ラインアップは以下の通り。じっくりお読みください。

巻頭挨拶
⚽️ 緒方 徹 (昭49卒 会長):2020年に寄せて

小平G人工芝化への期待
⚽️ 神谷 佳典(平7卒):人工芝プロジェクトの進捗状況

百年史秘話
⚽️ 福本 浩 (昭52卒):戦争の時代 〜 部存続の危機

戦いを終えて
⚽️ 右田 大河(4年 主将):困難
⚽️ 高山 修也(4年 GM):信じていること
⚽️ 石田 洸 (4年):4年間の思い出
⚽️ 尾高 洸祐(4年):記憶に残る瞬間
⚽️ 城所 知希(4年):サッカー以外なんもありませんでした
⚽️ 小杉 直輝(4年):夢に見る試合
⚽️ 深井 雄太(4年):ア式人生の集大成
⚽️ 森山 裕理(4年):早起きは辛くなかった
⚽️ 藤井 俊輔(4年):やってみて気づいた地域貢献の意義
⚽️ 大澤 敦 (4年):4ヶ月越しの対面

令和2年度シーズンに向けて
⚽️ 山本 健太(3年 新GM):「懸」 全身全霊を捧げ、1部へ

海外便り
⚽️ 重満 紀章(平7年):グッドモーニング、ベトナム

自由テーマ
⚽️ 村上 仁 (昭52卒):サッカー部OBとは言い難いOB?
⚽️ 小林 治 (昭53卒):海外で出会うサッカー部の不思議な縁
⚽️ 進藤 潤耶(平11卒):オーバーエイジは必要! VARには制限を!

私の学生LIFE
⚽️ 斎藤 五樹(4年):「FC ◯◯」
⚽️ 石川 晃 (4年):事件のにおい、ぷんぷん
⚽️ 下地 政太(4年):僕のア式飲み会人生
⚽️ 杉山 恭平(4年):メキシコが呼んでいる
⚽️ 中西 望 (4年):温泉としゃぶしゃぶ
⚽️ 渡邉 友彬(4年):私をご飯に連れてって
⚽️ 菅家 恵 (4年MG):ア式独自文化
⚽️ 下川 葵 (4年MG):現役時代のオフの過ごし方
⚽️ 河原 岳大(2年):束の間の休息
⚽️ 山口 健介(2年):不足

追悼
⚽️ 田中 好輔(昭41卒):故清水征四郎君の霊に捧げる
⚽️ 高峯 文世(昭43卒):一橋ア式蹴球部のレジェンド 清水さん
⚽️ 緒方 徹 (昭49卒)/ 山崎 彰人(昭49卒)/ 加藤 富朗(昭52卒)

編集後記
⚽️ 福本 浩 (昭52卒 編集長):試練の年、だからこそ!

一橋レガシーを未来へ!

2019年8月30日  タグ: お知らせ   2件のコメント

小平グラウンド人工芝化プロジェクトが本格的に始動してから
半年が過ぎ、8月3日までに 63名 の方から 3,765万円 の寄付金が
寄せられました。目標とする1億2000万円のおよそ3分の1。
かなりのハイペースですが、まだまだ道のりは長く険しいです。
この機会に酉松会の方々に申し上げたいことがあります。

小平グラウンドの人工芝化プロジェクトは、
「一橋レガシー Ikkyo Legacy の創出」ということです。

2021年、創部100周年という記念すべき年に、
我々一橋サッカー部のOBが、後輩たちの未来のために
残すことができる、初めての「レガシー(遺産)」なのです。

小平グラウンドで4年間ボールを蹴った・・その絆で結ばれた
「酉松会」という組織の力が、今こそ試されています。
なにとぞご協力のほど、よろしくお願いいたします。

個人的な話になり恐縮ですが、私は昭和52年卒で、
4年生のとき関東2部から東京1部へ降格しました。
リーグ優勝や昇格を果たした代のように誇れるものはありません。
サッカー部への寄付や酉松会の活動にも、長い間、無関心でした。
小平に人工芝グラウンドができれば、そんな私でも、
一橋サッカー部の一員であったことに「誇り」を持つことができます。

数年前から酉松会新聞に投稿する現役たちは、
一橋サッカー部を「ア式」と呼ぶようになりました。
現在、大学のサッカー部で「ア式蹴球部」と呼称するのは、
東大、早稲田、そして一橋の3校だけです。
現役たちが「ア式」と呼ぶのは、100年近い長い歴史を持つ
我が部への「敬意」と「誇り」の表れだと思います。

そして彼らは、すでに「レガシー」も生み出しています。
「ユニット制」です。
他の大学にはない、この独自のチーム運営システムは、
これからも「レガシー」として未来へ引き継がれていくでしょう。

我々OBも負けてはいられません。
小平グラウンドの人工芝化こそ、酉松会の「誇り」であり、
未来に残せる「レガシー」に他なりません。
重ね重ね、ご協力をお願いいたします。

最後に蛇足になりますが、私が「一橋レガシー」を
「いっきょうレガシー」と呼びたい理由を述べます。

私の現役時代、一橋サッカー部の略称は「いっきょう」でした。
試合前の掛け声は「いっきょう、ファイト!」でしたし、
相手チームにもそう呼ばれていたと記憶します。
(たまに蔑称として「いっぱし」と呼ばれることも・・)

ちなみに文化祭は「一橋祭(いっきょうさい)」で、
寮も「一橋寮(いっきょうりょう)」と呼んでいましたね。

ですので、「ア式」という略称には違和感があり、
「いっきょう」の方に親しみと愛着を覚えます。
これは「誇り」が足らないせいでしょうかね。

酉松会新聞 編集長
福本 浩